【プロフィール】
1941(昭和16)年12月1日生まれ、熊本市出身。熊本県立熊本商業高校―熊本商科大学商学部卒。大学卒業後、熊本日日新聞社入社。新聞記者として15年間勤務。1979年、株式会社地域情報センターを立ち上げ社長就任。地域経済誌「くまもと経済」を中心に、週刊経済、週刊政治レポート、就職情報デビュー、熊本の企業白書、ふくおか経済(福岡)、福岡の会社情報(同)、週刊経済(同)などを出版。別冊含め12種類の定期刊行物を発行する。蒲島県政の夢4カ年戦略委員など行政、経済団体の審議員のほか熊本商業高校同窓会会長、熊本学園大学学長補佐(70周年記念事業担当)・特命教授などを務めた。 若者へのメッセージ 「目標設定し過程を楽しめ」 |
T1park記者
新しい取り組みなどは。 松岡会長 インターネット分野を進めています。今年に入り、当社のホームページのアクセス数が急激に伸び65万PVを超えました。これは県内では熊本県、熊本日日新聞に次ぐ実績だと思います。当社ならではの地域に密着した経済ニュースを発信し、記事がウェブ検索に引っかかる仕組みを作っており、これまでの地道な積み重ねが花開きつつあるようです。ホームページは経済人のみならず学生にもリクルートの場面で活用いただいています。 T1park記者 今後のネットの活用について。 松岡会長 経済ニュースのほかにも当社にはまだまだ温存しているコンテンツがあります。例えば業績、従業員数、役員一覧などの膨大な企業情報。現在これらはインターネットから隔離していますが、経済ニュースと企業情報を組み合わせればまさに鬼に金棒です。ネットビジネスに本格的に参入する際にはこれらを結びつけようと考えています。 |
T1park記者
仕事をする上で大事にしていることはなんですか。 松岡会長 まずは「地元主義」。現在、熊本市が人口74万人、県人口180万人です。この地域をもっと美しく、もっと活力のある郷土にしたい。取材活動も地場企業を中心に展開し、地場企業がいっそう成長・発展することを願いながら毎日の仕事に取り組んでいます。これは会社を創立する前からの私自身の願いでもあるし、今もって続けていることです。 それから自分自身と社員にもお願いしている「自己革新」。自分自身を成長させるためには色んなことに挑戦していかないといけません。失敗して元々ですから自分でできないようなことにも積極的に取り組んでみること。小さい目標から中くらいの目標、そして人生をかけてチャレンジするような大きな目標まで、人によって色々な目標があると思いますが果敢に挑戦する人であってほしい。 そして「主体性確立」。自分自身をしっかりと確立し、社長や上司相手でも自分の考えをきちんと伝え、時には指示に従わないといけない時もあると思いますが、しっかり自立していってもらいたいという考えです。 |
T1park記者
人間の形成・教育にはどのようなものが必要でしょうか。 松岡会長 それぞれ自立し自身の体験に基づいて自分の頭で考えてもらうしかないと思います。基本的に上からの指導で人が育つものではないと考えています。もちろん先輩や優れた人たちのアドバイスは自立を助ける言葉になるかもしれません。しかし、その人自身が気付き、感じ、自分を律して目標に向かってチャレンジしていくことでしか人は作れないと思っています。 教育の現場でも先生が教えたから人間が出来上がるのではなく生徒自身が気づいて自ら拓いていくのが本当の教育だと私は思っています。先生方はあくまでも側面的に支えてあげることが役割で教育の本質はそこにあると思います。 |
T1park記者
難しいからこそチャレンジしがいがある。 松岡会長 そうそう。その過程が楽しいんじゃないですか。目標を作り達成までのプロセスが面白い。これはおそらく共通することで私が改めて言うようなことではありませんけどね。一生チャレンジじゃないですかね。 T1park記者 学生時代の話を教えてください。 松岡会長 高校時代は熊本商業高校に通い、実業高校ということでほとんどが就職組で大学受験などの競争がありませんでしたからトランプ遊びをしながらとても和やかな高校生活を過ごしたような感じがしますね。私も当初は就職するようにしていましたがその後アルバイトをして1年後に熊本商科大学(現・熊本学園大学)に進学しました。 |
T1park記者
熊商OBには熊本の経済界でご活躍の方が多くいらっしゃいます。 松岡会長 セルモの安田会長、熊本交通運輸の住永社長をはじめ多数の方が活躍されています。昔は大学が今のように多くありませんでしたから当時の熊本商業高校は熊本における商業・経済の最高学府として現在の熊本学園大学や熊本県立大学の両方の役割を担っているような位置づけでした。たとえば私が執筆した「古荘財閥」の古荘健次郎さんをはじめ、鴻池仙市さんのように商工会議所も熊商卒業の方が歴代会頭を務められるなど実業界は熊商一色だったと思います。最近は熊高や済々黌出身の方が経済界で活躍されていますけれども以前は済々黌や熊高・熊中は医療・教育・行政の分野に進み、経済界はほとんど熊商が担っていました。 |
T1park記者
大学時代はいかがでしたか。 松岡会長 大学生活ではいわゆる「飲む・打つ・買う」はしませんでした。多少お酒を口にすることはありましたが学生時代に「遊び」をしていないことは今でも反省材料です。 その代わり地域研究や実態調査、県際収支などの地域経済研究に情熱を傾けました。企業は肥後銀行、熊本相互銀行、肥後相互銀行、寿屋、ニコニコ堂、平田機工などの調査研究、官庁では九州財務局や国税局、また、熊本の農産物や電化製品、自動車関係の物資流動など県の経済力調査にも努めました。本を勉強するのではなく実態調査です。あとは各大学との意見交換会。時には九州を飛び出し北陸大学まで行くこともありました。 麻雀もゴルフもしない大学時代でしたが唯一旅行にはよく行きました。私は4年間特待生だったのですが、学費は一旦収め、特待生になると返還される仕組みでしたのでそのお金で北海道や東北、北陸、関東、関西、四国旅行をしたり、もちろんアルバイトもしながら日本全国に出かけました。 私の恩師であり、のちに熊本商科大学の学長も務められた長野敏一先生の還暦記念に作ったのが「くまもと経済」創刊号です。はじめは花瓶や座布団などをプレゼントするつもりでしたが、先生から知的な教えを受けたので知的なお返しをしようと提案しくまもと経済という雑誌をつくりお送りしたのがはじまりです。 |
T1park記者
若い内にやっておけばよかったことは。 松岡会長 遊びをしたかったですね。遊びをしていないのでその分欠けている部分があると重います。遊んでいたらもっと幅広く、包容力のある人間になったと思います。若い時には遊ばないといけないんですね。どちらかというと私は優等生タイプできましたがそれではいかんのです。半分欠陥人間です。両輪やらなければいけません。 T1park記者 逆にやっておいてよかったことはなんですか。 松岡会長 研究会活動と旅行を思う存分やってきたことです。当時は海外への渡航は禁止されていたので国内を回りましたが海外旅行が解禁されていればもちろん行っていたでしょう。大学時代には会計学研究会や経済学研究会、経営学研究会など私だけ沢山の会に所属していました。毎日どこかの研究会に顔を出し、2年時には資本論研究会を結成、3年時には地域経済研究会(熊本経済研究会の前身)を立ち上げました。4年間主席、卒業時には総代でしたから優等生ですね。本当はそうではないのですが成績上はそうなっているわけです。普段こういう話はしないので皆さん知らないと思いますけど「いわゆる成績優秀」だったんですよ。いまは「鈍くさい」ですけど。笑い。 |