T1 park 記者
それはどうしてですか。 工藤監督 全国優勝すると進路の選択肢が一気に増えます。ですから生徒たちの進路のためにもとにかく3年生中心にインターハイでトップをとろうと。ですからアトランタ五輪代表にも選ばれた宮村愛子のような選手でも3年目に入れただけです。彼女はそのころすでに実力がありましたから、個人では1年生の時に優勝、3年生の時全日本で優勝しました。 T1 park 記者 一番多い時の部員数はどれくらいいましたか。 工藤監督 第4回目優勝時の平成3年に約40人ほどですね。教え子は延べ250人くらいでしょうか。陣内貴美子(バルセロナ)、宮村愛子・宮村亜貴子(アトランタ)、松田治子(シドニー)、前田美順(北京、ロンドン)の5人は後にオリンピック選手としても活躍しました。個人戦は数えておりませんが、団体戦では10回の日本一を経験しました。今は1年生が2人、2年生が4人。新チームで春の全国大会出場に向けて頑張っているところです。 |
T1 park 記者
部員はみなさん県内の子ですか。 工藤監督 全部県内です。私は県外の子はとりません。今、全国の強豪校なんて部員の8割は県外の子ですよ。どこでも勝ちたいから有力選手を集めます。私はいい選手は育てりゃいいと思うのですが。〝スエマエ〟の前田だけは鹿児島県出身です。彼女は「工藤先生に習いたい。熊本中央しかいかない」と決めていたみたいで。何度も断ったんですが、最終的にはおじいさんおばあさんまで来られましてね、前田一家でお願いされたんですよ。同級生の親御さんにも頼まれて特別にとったのが前田です。ですので基本的には熊本県人だけです。僕は熊本で生まれ育ったので熊本に恩返しがしたい。熊本の人間だけ、弱くても強くてもバドミントンが好きならいいんだという事でやっているんです。それで一生懸命やって、結果負けてもいいんです。それが僕の考えです。 |
T1 park 記者
下駄箱の靴がきれいに並べられています。 工藤監督 うちの校訓は「良妻賢母」ですので、スリッパを並べたり、お茶を出したり、そういう当たり前の気配りができる女性になってほしいですね。熊本弁で言うと「勉強は好かんでもよか嫁ごになれ」ということですね。いいお嫁さんの条件は料理が上手で身の回りの世話ができること。顔が綺麗とかはどうでもいいことですよ。玄関で靴をそろえるとか、テーブルの水滴をふくとかそういうところに男は惚れるんです。なんでもいいから努力していれば必ず幸せがきます。うちの部の合言葉は「努力=幸福(しあわせ)」。勉強も運動も学校生活もコツコツやってれば大きな幸せが巡ってくる。それが私のモットーです。勝てなくても幸福なんですよ。 |
T1 park 記者
授業のコツはなんですか。 工藤監督 私自身、悪ゴロでやる気がない学生でしたからね。生徒の心理はよく分かるし、自分がしてもらったことに対してなんとか恩返しをせなんと思ってですね。教員はできる子ばかり面倒をみがちですが、勉強が好きじゃない子達にもプライドがあります。勉強が苦手な子を大事にするとできる子はヤキモチを焼いてさらに頑張る。それが教え方のコツです。 みんなどこかで死に物狂いで勉強あるいは努力をしなければいけない時がきます。簿記の試験の時にはできるまで集中して問題集を説き続けます。保護者も喜んで「うちの子のためにこんなにしてくれてありがとう。先生のためならなんでも協力します」と言って、子供達に手作りのケーキやパンを差し入れにきてくれていました。 |
T1 park 記者
保護者の理解と協力が肝心ですね。 工藤監督 子供達の健康なども考えて私は弁当を推奨しています。早い子は卒業してすぐ結婚、子供を産むことだってあります。母体をつくるには手作り弁当が1番。菓子パンで母体ができるかと。母親には「仕事も忙しかろうけど子供のために作ってあげなさい」と言っていましたね。 T1 park 記者 子供達は喜ぶでしょう。 工藤監督 手作りの弁当には愛情が入っているし、それが一番美味しいですからね。私も弁当持参でした。クラスの悪ゴロには私の分も持ってくるように言ったこともありました。そうすると翌日弁当を2つ持ってくるわけですが、私はなんでも美味しく頂きますからそれを見てまた喜びます。もちろんその家庭には別の形できちんとお返しをします。それから返す時は洗ったらだめ。あえて洗わずに返す。そうすると子供が家に帰ったあと炊事場にいって親に色々報告するんです。 |
T1 park 記者
弁当を通して家庭でのコミュニケーションが生まれる。 工藤監督 それまでは朝から会話もなく弁当代だけもらってきていたのが、弁当を通して親の愛を感じる事ができる。それが僕のやり方です。 T1 park 記者 生徒に変化はありますか。 工藤監督 僕のクラスは学校でも家庭でも必ず変化が出ます。もう40歳になりますけどいまだに親子で付き合っている子がいましてね、田舎の一人娘でおとなしい性格の子だったのでいじめにもあいました。本人からはいじめが怖くて学校に行きたくないという事を聞いていたし、誰がいじめているか見ていたら分かるでしょ?それでその子に確認して、俺が許さんと言って皆の前で張り倒しました。そして一緒に家に行って謝らせました。「親には言わんでいいから子供同士謝れ」と。それで終わり。それから2人が仲良しになって、お母さんも「うちの子が生き返った」と喜んでね。2人ともすぐ就職しましたので、最初の給料でお金を出し合って記念品のベルトをくれましたよ。それは親が言ったのかもしれません。その子達には今でも年に1回必ず会います。 |