【プロフィール】 1955(昭和30)年7月23日御船町生まれ。作曲家、指揮者。国立音楽大学附属(音楽)高校卒、国立音楽大学作曲科、ウィーン国立音楽大学作曲科卒。ウィーン市立音楽院指揮科修了。ニューヨーク・カーネギーホール、ヨーロッパ、アジア等、国内外で活躍。作品はオペラ「細川ガラシア」を始めNHK「みんなのうた」など幅広く、米国・モンタナ州ボーズマン市「名誉市民章」、「くまもと県民文化賞・特別賞」「熊本県文化懇話会賞」等受賞。現在、平成音楽大学理事長・学長・教授。日本作曲家協議会会員。全国音楽療法士養成協議会会長。九州音楽コンクール実行委員長。熊本県私立大学協会会長。熊本オペラ芸術協会会長・芸術監督。 「日々努力、生涯現役」 |
常に〝本物〟に触れる 環境を整えている ― 平成音楽大学の近況を教えて下さい。 出田 本学は震災のため、建物の約8割が損壊と非常に大きな被害を受けました。ですから、まずはとにかく復旧復興、それに力を尽くしてきたところです。これは国内外多くの方々の多大なる援助のおかげもあり、着実に進んでおります。 すでに今年の4月、復旧の〝第一楽章〟として『Heisei MUSIC PARK〝音楽の広場〟』と称した「ステージのあるカフェレストラン」がオープン。モダンで斬新な建物の屋内では上質な音楽が流れ、ステージにはグランドピアノ。これは全国のピアニストらがチャリティーコンサートで集めた義援金により購入、本学に寄贈されたものです。 |
もちろん、本業とも言うべき音楽教育もしっかりやっていますよ。私自身、教授として直接指導に当たっていますし、私が音楽監督を務め学生が演奏するコンサートなども、定期的に開催しています。練習だけでなく実際に聴衆の前で演奏し、より腕を磨く機会を提供しているというわけですね。
ニューヨーク・カーネギーホール公演 (1977年9月14日) マエストロルーム(楽屋)にて | 基礎はもちろんのこと 学外での学びも大切に ― 学生時代の、今に活きる「学び」を教えて下さい。 出田 私は日本の音大を経てウィーンの音大にも通いましたが、まずはとにかく基礎を学びました。基本をきちんと学ばないまま「有名になりたい」と言う若者もいますが、しっかりした土台のないものは、一時は良くてもやがて崩れ落ちる。これは人でも何でも同じですね。私は学長であると同時に現役の作曲家、指揮者、プロデューサーでもありますが、これほど長く活動を続けられたのも、基礎を大切にしてきたからだと感じています。また当時はカラオケがなく、お店で歌うには生演奏が必須だった頃。ですから芸能界、クラブ、キャバレー、スタンドバーといった夜の世界などで演奏・伴奏し、腕を磨くということもよくやりました。そして音楽マニアだけではない、「大衆」の好みや感覚を肌で感じ、学校では学べない大切なものを学べました。そう、音楽は一部の人のものじゃない、みんなを楽しませるためのもの。当時の経験は、そんな私の信条につながってもいます。 「日々努力」 ― 座右の銘は。 出田 「日々努力」、これに尽きます。「努力に勝る天才なし」とよく言いますが、そもそも人は皆、何かそれぞれ素晴らしいものを備えている。 |
たとえば曲を作る、これはまさに努力の日々ですよ。連日寝る暇もなく良いものを追い求め、ようやく納得のいく曲に近づけるものです。ですからすぐに学校や仕事を辞める若者がいますが、もったいないなと思いますね。勉強でも仕事でも、努力を続けてようやくわかる、そういうことがたくさんありますから。
― 若者へメッセージをお願いします。 「つぶしのきく人間」を目指して欲しいですね。これだけしか出来ないというようでは、社会に出て困るでしょう。そのためには学校の勉強も大切ですが、今のうちにいろんな世界に顔を出し、学校では学べないことも積極的に学んで、自分の中の多様性を育んで欲しいです。 また繰り返しになりますが、途中で壁にぶつかったとしても諦めず、一度決めたことは責任感を持って、最後までやり抜くこと。努力を続けてこそ、ようやく得られる大切なものが世の中にはたくさんあります。だからまずは忍耐、継続すること。そうして、若い今のうちにこそ「人間力」を鍛えて欲しいと思います。 Writer M.Yoshimitsu |