T1 park 記者
加藤神社の近況と地震を受けて。 湯田 4月14日の前震では、熊本城の瓦が落ちる瞬間を間近にしました。何とも言えない音と土煙、臭いで一瞬にして神社全体が覆われました。幸いにも神社の御社殿や社務所は軽微な被害で済みましたので助かりました。しかし、城内の石垣崩落により、53日もの間参拝者を受け入れられない状況が続きました。参拝者を受け入れられない神社は、神社としての役割を果たすことができません。これほど辛いことはありません。そんな厳しい状況が長く続くようであれば遷宮(移転)もやむを得ないかとまで一時は考え、精神的に追い込まれたこともありました。5月下旬頃から何とか方向性が見え始め、6月8日に神社に通じる道路が仮復旧し、状況が徐々に良くなってきました。ありがたいことに現在は熊本城を一番近くから望むことができる場所として多くの方々に足を運んで頂いています。 天守閣を3年、石垣を含む熊本城全体を20年かけて復旧・復興していく方針が発表され、目標が見えたことは、熊本の復興にとっても大きな希望となります。熊本城と共に当神社内の復旧も少しずつ進めていきたいと思います。しかし、まずは生活環境の復旧もありますので、徐々に取り組んでいきたいと考えています。 T1 park 記者 今後の展望は。 湯田 復興のシンボルとしては、熊本城の天守閣もそうなんですが、地震に耐え抜いた宇土櫓とその石垣を是非、国の重要文化財から国宝にしてもらいたいと思っています。国宝認定があれば、熊本の活気に結びつくのではと思っています。築城に携わった清正公も喜ばれると思います。 また、加藤神社の役割としても熊本の復興の一役を担うこともあるかと思います。なかでも更に力を入れていきたいのが、加藤清正公のNHK大河ドラマの実現に向けた活動です。熊本県や市、経済界など多く方々の協力を頂きながら、点が線になっていくことを望みます。熊本を元気にするためにも、この活動を応援していきたいと思っています。 T1 park 記者 仕事をする上で大切にしていることは。 湯田 神社の仕事というのは、参拝者と神様の仲取り持ちをするという特殊なものです。この仕事を通じて感じることは、日頃皆様方から大切にして頂いているという感謝の想いです。この想いを普段から持って、謙虚に受け止め、相手のことを優先して考えられるように心掛けながら仕事に務めていくようにしています。 また、神主という仕事は、歴史や伝統を守らなければならないという強い想いから鳥居の内側で物事を考えてしまいがちになります。しかし、参拝者の方々は鳥居の外からお参りに来て頂くわけです。ですから、参拝者の方々と私たちの考え方があまりにも乖離していれば、意味をなさないわけです。そういうこともあり、私は努めて外へ出ていくようにしています。「くまもと21の会」や校区の団体、PTAなど多くの活動に参加することで、幅広い方々と交流する機会を大切にしていきたいと考えています。あまりにも世間知らずでいつも神社の内側ばかり見ているのは良くないということです。神社の外側にどういう文化や考え方があり、皆様が生活されているかを知っておくことは歴史や伝統を守っていく上でも必要な仕事だと思います。 T1 park 記者 若い頃の経験で、今の自分にとって役立っていると思うことは。 湯田 大学は東京でしたので、熊本での最終学歴が高校になります。ですから高校時代の友人とはよく会います。高校時代を今振り返って見ると楽しいことばかりだったように思います。あえて今役に立っていることというと、色々な人とお付き合いし、コミュニケーション力を培ったように思います。高校の頃って、勉強するグループや部活に熱中するグループ、ちょっと悪さをして楽しんでいるグループなどいくつかのジャンルに分かれているように感じるんですが、私はどのグループに入るわけでもなく、分け隔てなく幅広い色々なタイプの友人たちと付き合っていたように思います。おそらく神社の息子として生まれ、将来的に色々な人とお付き合いするということもあり、意識のどこかで幅広い交友関係を築きたいという気持ちがあったのだと思います。 T1 park 記者 部活動などは。 湯田 同好会の応援団に所属していました。体育祭や高校野球の応援などに行って盛り上げ役として楽しみながら頑張っていました。 T1 park 記者 大学時代は。 湯田 神主とういう同じ職業を志す同志ができました。神道を学ぶ学科のある大学は日本に2校しかありません。祭式や祝詞の書き方、その他古事記や日本書紀について学びました。こうした特殊な勉強をする中で、純粋に勉強する仲間やお祭り好きな仲間など多くの友人に恵まれました。宮司になって2年目で熊本地震に遭遇しましたので、神社の厳しい立場を理解してくれている大学時代の仲間たちが全国各地から物資を送ってくれたり、励ましの電話をくれたり、非常にありがたいと思いました。 T1 park 記者 座右の銘は。 湯田 「後の世のため」です。これは清正公が常々政治信条にしていた言葉でもあり、今のためだけに今を生きてはいけない、つまり、自分のためだけに今を生きるのではなく、後の世の人のために何を残せるかを常に考えながら今を一生懸命に生き抜かなければならないということです。また、自分の生き方に常に責任感を持って生きなければならないという意味でもあります。 T1 park 記者 第13代宮司として神社を継承された際も重い責任感があったんでしょうね。 湯田 宮司の職を第12代の父親から引き継ぐ際に「古人の跡を求めず、古人の求めたる所を求むべし」という言葉を授かりました。この言葉には、前宮司の歩んだ軌跡をそのまま真似するのではなく、前宮司の求めた精神を常に見習って、新しいものを求め、自ら事を成すことに努めもらいたいという後継の宮司への望みと期待が込められています。一見簡単なようでとても難しく、言葉以上に精神的なことを授かった気がします。ですから、私もこの言葉を次の宮司に贈ることができるように今を歩んでいかなければいけないなと努めているところです。 T1 park 記者 若者への応援メッセージを。 湯田 いつも全てに「ありがとう」と言えるような気持ちを若い皆さんには持って生きてもらいたい。物でも人でも常に全てに「ありがとう」という思いがあれば、自分の心に対しても素直になれると思います。世の中が平和であるために、まず自分が変われる第一歩がこの「ありがとう」の気持ちだと思います。人には感情があるので、ついつい怒ったりすることもありますが、そんな時でも「ありがとう」という気持ちを大切にしてもらいたい。 T1 park 記者 ありがとうございました。
Writer M.Ujino
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9月 2024
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