2020年7/13 人吉にて水害についての記者会見
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総理のアドバイザーとして
日本の安全保障に貢献 ―国会議員としての近況を教えて下さい。 木原 私は衆議院議員であると共に、昨年より総理の補佐官を務めています。これは英語名で“Special adviser to the Prime Minister”と言った方がわかりやすいかもしれませんね。その名の通り、総理直轄のアドバイザー=助言役であると言えます。 通常、総理は官僚たちを通して様々な情報・識見を得るわけですが、それが必ずしも正しい・充分であるとは限らないわけです。ですから補佐官が独自のルートを通して得た情報を元に助言することで、総理が複眼的に、より広い視野でものを見るための助けとなる。補佐官は担当ごとに5名いるのですが、私は「国家安全保障に関する重要政策担当」ということで、日本の安全保障全般について常に目を光らせ、多方面から情報を得ています。 |
ですからマスクなどの医療物資、および食糧など「国民の命・安全に関わるもの」に関しては、国内での生産を促進しているところです。企業への財政支援に加え、ちょうど法整備したばかりですが外国人が日本で働きやすくなるようにしたりして、少子化の進む国内でも一定の労働力を確保し「国内回帰」を促す。国家の安全というと『自衛隊』『海上保安庁な』どがイメージされがちですが、そうした「国防」はもちろん「医療」「経済」など様々な分野で総理の目となり知恵となり、日本の安全保障に貢献する。そうした活動に取り組んでいます。
2020年11/14 ミクロネシア大統領との首脳会談にて
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国家で一番大切なのは 国民1人ひとりの向上 ―今後、力を入れていきたいことは。 木原 安全保障以外では、私の場合「教育」が議員としての専門分野と言えます。これもコロナで浮き彫りになったことですが、国際的に見て日本の教育はICT(情報通信技術)化が遅れている。ですからリモートで授業しようとしても、すぐには実現できないところが多かったわけです。 昨年より文部科学省が『GIGA(Global and Innovation Gateway for All)スクール』という構想を打ち出しており、これは1人1台の学習用PCと高速ネットワーク環境などの整備を柱とした、5ヶ年計画です。ただし、対象は小・中学校といった義務教育のみ。これを私は、現状ほとんどの子供が進学している「高校」へも広げたいと思っています。 |
木原
済々黌高校時代の、ハンドボール部での経験です。
勉強も大切ですが、極論すると自分だけ頑張れば成績が上がり、良い大学に入れたりもしますよね。ところがスポーツ、特にチームスポーツはそうはいかない。個人技だけ上手くなっても勝てるとは限らないし、集団の中で自分がどういう役割を果たすのか、常に意識して動くことが大切になってきます。
私はもともと政治家志望でしたが親が議員というわけでもなく、何の地盤・看板もない身です。だからこそまずは社会を知り、人脈を作っておこうと大学卒業後、民間企業に勤めました。そうした実社会に働く上で、「全体の中の1人」として「みんなのために」頑張った経験は、とても役立ったと思います。これは、政治家となった今でも言えることですね。
特に3年の時は主将を務め、本当に良い経験をさせてもらいました。当時の済々黌ハンド部は監督が良い意味で放任主義というか、練習メニューや戦術も自分たちで考えることになっていまして。いちプレイヤーとしての自分とキャプテンとしての自分、その2つを両立させながら、同時に両方を向上させていくことの難しさ、大切さを学べました。議員という責任重大な仕事に向上心とリーダーシップは必須と言えますから、こうした経験も大変、今に活きています。
―若者へメッセージをお願いします。
木原
今、やりたいことのない若者が多いと言います。でもだからといって引きこもったりしたままでは、誰のためにもならないと思うんです。
だから私は、「まず走ろう」と言いたい。まだ若いんだから、自分の適正なんてわからなくて当然。くよくよ考えるよりも、まず動く、一歩を踏み出す。好きなことじゃなくても、やりたいことじゃなくても良い、まずはやってみることです。
そして、走り出したら「全力で」走ることが大事。一生懸命やり続けていたら必ず、周りとの信頼関係が生まれてきます。そして人脈が生まれ、人と人との緊密なつながりの中で、自分の為すべきこともきっと見えてくる。
私も議員になる前、日本航空で10年間頑張ったおかげで、様々な「人とのつながり」を得ました。そして、あらためて議員になりたいと再確認し、今に至ります。「まず走ろう、それも、全力で走ろう」。これを日本の未来を担う皆さんへのメッセージとして、締め括りたいと思います。