― 菊陽町の近況を教えてください。 TSMCが進出し、最終的に約1700人の方々が菊陽町に来られます。台湾の方も800人いらっしゃいますので、今後、町民の皆さんとどのように共生していくかを考えながら準備を進めているところです。菊陽町は観光地ではありませんので、これまで外国との交流も少なく、TSMCの進出が決まって以降、ものすごいスピードで変化しています。新たに菊陽町に来られる方々を歓迎する意味でも準備を進めているところです。その第一歩として、今年7月に台湾・新竹の町、宝山郷(ほうざんきょう)と友好都市の協定を締結します。 また、菊陽町在住や出身で、スポーツ・文化面で活躍されいる方々にPR大使になっていただいています。まずはPR大使について町民の皆さんにも知ってもらい、PR大使を通じて菊陽町を全国に発信していきます。 |
これからですが、スタートアップ事業に取り組んでいきたいと考えています。若い方々に限らず、町民皆さんの潜在能力を高めることが私の仕事だと思っています。そのためにも、まずは国内で活躍しているスタートアップに詳しい方々にお越しいただき、スタートアップとは何かという基本から学び、熊本県や市とも情報共有しながら進めていく計画です。そして将来、イーロンマスクやティムクックのような世界で活躍する人材を菊陽町から輩出できればと期待しています。もちろん若い時には町を離れたとしても、色々な経験を積んで成功し、何らかの形で菊陽町にコミットしてもらえれば嬉しく思います。
また、小中学生の皆さんにとっても一流の方、成功している方の話を直に聞くことはとても良い機会であり、刺激になります。こうした素晴らしい話を聞く機会を数多く作っていきたいと思います。頭でっかちにならず、色々な人と話して、柔軟性を持ってもらいたい。町長になる以前から、子供たちの声にもしっかり寄り添い、耳を傾けようと心掛けてきました。今も小中学校を訪ねる度に、気付きと学びがあります。若者は地域を元気にする源です。
▼大学生の頃の𠮷本町長 | 厳しさは、命を守るために大切 ― 学生時代の、今に活きる「学び」を教えてください。 高校時代に味千ラーメンでアルバイトをしていました。その時に接遇や社会人としてのマナーなど、これまで知らなかったことを数多く学ぶことができました。今考えてみると世の中に出るための準備期間だったように感じます。 学校では勉強以外にも、社会に出て、やって良い事と悪い事を教わったと思います。農業高校でしたので、農機具なども使います。一つ間違えば命にかかわりますから、とても厳しかったです。しかし、怒られることは、命を守るために大切なことだと教わりました。 大学時代は、多くの友人との出会いが自分自身を成長に導いてくれたように思います。なかでもヨット(セーリング)の日本代表としてオリンピックに2度出場した高木正人選手 |
―座右の銘は。 「和を以て貴しとなす」。初めて選挙に出た際に掲げた言葉でもあります。一般的に「仲良くすることを大切にしなさい」という意味だと思われがちですが、よくよく調べてみると「議論することを大切にしなさい」という意味だと知りました。つまり、色々な議論をしっかりした中で、物事を進めなさいということです。町長になった今でも、仕事の進め方において大切にしていることです。 また、これは座右の銘ではないのですが、若い方々に伝えたい言葉があります。それは、鹿児島の知覧で「特攻隊の母」と呼ばれ、食堂を営みながら特攻隊員を支えてきた鳥濱トメさんの言葉『なぜ生き残ったのか考えなさい、何かあなたにしなければならないことがあって生かされたのだから』というものです。 |
― 若者へメッセージをお願いします。
人の目を気にせず、自分の想いをしっかりと固めて、その想いを実現してください。人の言うことに耳を傾けながらも、自分自身の意志を持ち、自己主張をしていくべきです。
夢は自分で描くものです。そして夢に対して、その本気度を持って、どれだけ人生を夢にかけられるかです。
夢に向かって本気で進んでください。