厳しい環境の中 総体王者に返り咲いた ― 開新高校ボクシング部の近況を教えて下さい。 昨年はまず前年逃した県総体王者(団体)に返り咲くことができ、良かったと思っています。また、11月の県新人戦でも団体優勝。個人戦もピン、ライトフライ、ミドルの3階級で優勝し、ライトフライ、バンタムの2階級では準優勝と、好成績を残すことが出来ました。特に後者の場合、3年生が引退し新チームになっての結果ということで、とりあえずホッとしました。 ですが続く全九州高校新人大会(2019年1月18~20日)では、残念ながら団体優勝は出来ませんでした。個人でもライトフライ級の入田が決勝で負けて2位、ピン級の上野とミドル級の甲斐は準決勝で負けて3位。2位まで進出できるので、結局入田だけが全国高校選抜大会(3月25~28日)に出場できることとなりました。 |
また私が自営業をやってるものですから、教員の方と同じように監督を務めるのは難しいという現実もあります。しかし、そんなことばかり言っても仕方がありませんからね。実際に戦うのは入田1人とはいえ、2年生5名と1年生2名の選手、そして3名のマネージャーの計10名で一丸となり、全国選抜でも優勝を目指して頑張ります。
ここの選手が恵まれない環境にあっても好成績を収められるのは、そんなトレーニングにより比較的、100%に近い力を出せているからだと思います。
高校時代の西垣監督、卒業アルバムから。 | 精神力を鍛えたことが その後の人生にも活きた ― 学生時代の、今に活きる「学び」を教えて下さい。 もともと町の道場で空手をやってまして、格闘技は好きでした。ですが高校には空手の同好会しかなくエネルギーを持て余しまして、まあ、ヤンチャな日々を送っていました(笑)。 それで当時の恩師から、無理やりボクシング部に入れられたというのがきっかけです。ところが始めてみると、練習以上にとにかく減量がキツくて…。勝つことよりもとにかく食べたい、コーラが飲みたい、早く開放されたい気持ちで一杯になりました。あれは本当に辛かったですよ。 特に国体に出た3年生の時は、ライトウェルターが私の階級でした。当時の最重量級なので、もう減量するしかないわけです。やっぱり辛い、だけど続けた結果、国体で優勝…つまり日本一になることができました。 私はやがて大学を中退、料理の道に入りほぼ独学でお店を構え、自営業となりました。大変なこともありましたが乗り越えてこれたのは、ボクシングによって精神力を鍛えられたことが大きいと思っています。また競技人口が多くないスポーツですから、経験者というだけで世代を越え、すぐに仲良くなれる。そうやって得た仲間たちから、ずいぶん助けられもしました。学生時代に打ち込んだボクシングから得られたものは、本当に大きいなと改めて感じています。 |
ボクシングよりも大切
― 指導をする上で大切にしていることを教えて下さい。
ボクシングスタイルはある程度共通していますが、一方でそれを教えるやり方は、選手1人ひとりに応じて変えるようにしています。ある者にはガツンと厳しく、ある者は持ち上げたり(笑)。タイミング次第で使い分けたりもしますね。やっぱり、選手それぞれに個性や調子がありますから。
そしてそのためには、彼らときちんとコミュニケーションを取ることが重要だと思っています。時にはもちろん指導者の目線で、けれど時には選手と同じ目線に下りて、一緒になってふざけてみたり。そうやって彼らのことをよく知り信頼関係を築かなくては、どんな指導が適切か見極めることなどできませんからね。
また技術的なこととは別に、挨拶や連絡など人として基本的なことは、全員にしっかり教え込むようにしています。部活というのは学校教育ですから、たとえ優勝しようと、そういうことが出来ない選手は認めません。そして何より愛情を持って、自分の感情に任せず彼らのためを思って指導をすること、それを一番大切にしています。
自然と努力へつながる
― 若者へメッセージをお願いします。
選手たちに聞いてもそうなんですが、将来の夢や目標がない、そんな若者が多いようですね。別に格闘技でなくても、アニメでもゲームでもいいから楽しいこと、究めたいと思えるようなことを、まずは見つけて欲しいと思います。
楽しければ、自然と努力するようになるはずなんです。そして何度も言うように、努力を続ければ必ずいつか結果につながる。そのことを胸に留めて欲しいと思います。