伊藤 敏幸 慶誠高校 バスケットボール部監督 慶誠高校 副校長 【プロフィール】 1952(昭和27)年12月2日生まれ、65歳。菊池市出身。 菊池高校-国士館大学文学部卒。高校よりバスケットボールを始め、大学時代は実業団チームにも所属する。大学卒業後、教諭として赴任した東京の中学校でバスケ指導者としてのキャリアも開始。以来、東京・熊本の様々な中学で日本一をはじめ輝かしい成績を収めると共に、多くの名選手を育て中学バスケ界の名将として名を馳せる。中学校校長を定年退職した後の2012年慶誠高校に赴任、同校バスケットボール部監督就任。 熊本県高等学校総合体育大会(県総体)優勝3回、熊本県ウインターカップ優勝3回 (※以上、全て女子バスケットボール部) 現実にぶつかり 身をもって学ぼう |
ただ、その後の九州大会や全国大会では良い成績を残せませんでした。選手が自ら考える力や、ここぞという時の勝負強さ、デイフェンス力、インサイド(ゴール下周辺)での得点力など、全国レベルで戦うにはまだまだです。これから、それら課題の克服に努めていかねばと思っています。
さらに言うと私の場合、バスケットが大好きなのはもちろんですが、それ以上に「生徒たちが目標に向かい、真剣に本気で一生懸命に頑張る姿」に出会えた時に、一番幸せを感じます。教師になったのもそれが理由ですし、試合に勝って嬉しいのも、彼女らの喜ぶ姿を目の当たりにできるからです。それだけに、部員たちのベストのプレーを引き出せる指導が最も大切だと強く思っています。
33歳ごろ、監督するチームが東京の中体連で優勝した時の1枚 | 過酷なバスケの練習が 「負けじ魂」を養った ―学生時代の、今に活きる「学び」を教えて下さい。 伊藤 私が高校でバスケをしていた頃は、水も飲めず倒れて動けなくなるまでやる、そんな練習の繰り返しでした。現在では批判されるやり方ですが、生きる上で大切な「負けじ魂」や「根性」を養えたことも確かです。 私はプレーヤーとしては一流とは言えませんでしたが、「負けじ魂」のおかげでその悔しさを「優れた指導者になろう」と、やる気に転化することができました。ですから当時の指導にマイナス面があったのも確かですが、全否定ではなくプラス面を残せるよう工夫することも大切ではないかと思っています。私の今日があるのも、高校時代の恩師である山崎勗先生の熱いご指導のおかげだと感謝しています。 |
部員たちの幸せを願い 「心を込めて」指導したい ―座右の銘は。 伊藤 元全日本女子バスケットボール監督・中村和雄さんの言葉で「心を込めて」というものです。中村さんとは指導者同士の交流を通し、多くのことを学ばせていただきました。私は今でも、彼こそ日本一のバスケット指導者だと思っています。あの命懸けで頑張る選手たちの姿に何度も心を震わせられたことを、今でも鮮明に思い出します。 近年、スポーツの世界でよく「パワハラ」が問題になりますが、1つには指導者が「相手のため」でなく、感情任せに怒ることが原因なのではないでしょうか。練習や試合がうまくいかないと不安になってきて、そんな自分の不安を選手にぶつけてしまったりすることが原因ではないでしょうか。 しかしそれは、「叱る」とは違うのだと思います。選手の成長や幸せを願い、「心を込めて叱る」のであれば、多少厳しくしても選手も必ずわかってくれると確信しています。 そんな指導者としての原点を、中村監督の姿から学ばせていただきました。 |
伊藤 多くの情報を簡単に得られる今、知識が豊富でかしこい若者が多いなと感じます。その反面、頭の中で物ごとを完結してしまい、現実にぶつかり身をもって得た学びを通して自分の成長につなげる、そういう面では苦手な傾向があるとも言えます。たとえばですが競争の場から学生を遠ざけるあまり、かえって社会に出てからの競争に免疫のない子を育てている気がします。そういう意味で言えば、運動部というのはそれこそ自分の身体で現実にぶつかり、身をもって多くを学べる貴重な場なのかなと思います。もちろん、必ずしも運動部である必要はないんです。どこでも良いから、自分の体で直接感じ、汗をかく、そんな経験を多く持って、そこで得たものを自分の糧にしていく。そうすればかしこい今の若者たちのこと、もっともっと自分の才能や長所を伸ばし未来に羽ばたいてくれるのではないでしょうか。