【プロフィール】
1950(昭和25)年12月30日生まれ、熊本市出身。熊本県立熊本高校―慶応義塾大学商学部中退。1974年株式会社片岡入社、82年常務取締役、91年代表取締役社長。2004年12月 株式会社アスリートクラブ熊本取締役、2012年3月から現職。熊本青年会議所第36代理事長、全国城下町青年会議所連絡協議会会長、くまもと21の会初代会長などを歴任。熊本高校同窓会江原会副会長、熊本県文化協会常務理事、熊本県文化懇話会常任世話人、くまもと新世紀 株式会社(ホテル日航熊本) 監査役、九州郵便局長会理事、熊本お城まつり運営委員会会長など幅広いフィールドで活躍する。 若者へのメッセージ 「これ以上でもなければこれ以下でもない」 |
T1park記者
アスリートクラブ熊本(J2ロアッソ熊本の運営会社)の近況を教えてください。 永田会長 2012年に導入されたクラブライセンス制度では、14年度決算時に債務超過か3期連続赤字のクラブはJリーグから除外されることになっています。我々は前回増資をした年に7千万円の単年度赤字を出しており、債務超過解消が急務でした。おかげさまでなんとかメドがついたところです。改めて県民のパワーを感じています。本当にありがたいことです。 チーム(ロアッソ熊本)は悔しいぐらいに苦戦しています。一番責任を感じているのは監督や選手たちですから、戦績に対してブーイングはあるかもしれませんが我々は彼らを支えていかなければいけません。小野監督は非常に素晴らしい人で彼の能力、実力をどれくらいチームに浸透できるかがポイントです。一度勝ち始めればそのままぐーっと勝ち続けることができると信じています。 |
T1park記者
改めてチームの目標を教えて下さい。 永田会長 J1のステージに上がるということはチームができた時からの目標でした。ただその時は漠然と昇格を目指していただけでしたので、現在は来年のJ1昇格実現を目指さないといけないだろうと思います。将来を見据えた5カ年計画の策定も必要です。また今の予算では選手補強が難しいという問題もあります。そのためアカデミーの普及・拡大、ホームタウン活動などの展開に力を入れています。加えて今年から「火の国盛り上げ隊」という取り組みをスタートしました。県内10地域を対象に年に数回選手が訪問し、ロアッソが地域を応援しますというスタンスで活動しているのですが逆に首長はじめその地域から応援してもらえるようになりました。また、裾野を広げる活動の一貫としてアカデミーで幼稚園の訪問なども行っています。 これらの地道な活動を通し、ただJ1のチームを作るということではなく、サッカーを通して「県民に元気を、子供たちに夢を、熊本に活力を」という企業理念を追求していきたいと思います。 |
T1park記者
永田会長ご自身はサッカー経験がありますか。 永田会長 私はサッカーをしたことがないし、正直ルールもよくわかりません。逆にそれがいいと思っているんです。サッカーのことはわからなくても熊本のことは大好きですしね。 非常にありがたいことで、ロアッソを通して夫婦の会話が増えたとかふさぎこみがちだった子が元気になったなどの嬉しいニュースを耳にします。寝たきりの方もベッドのまま会場に来られて、試合を観ることはできなくても会場の盛り上がりで元気をもらったという人もいらっしゃいます。これらはしょっちゅうあることではないのですが少しずつでも地域の皆様のお役に立てているのかなというのが支えになっています。 実はホームゲームをやるのはすごく大変でお金のない会社ですから会場の設営や撤去、当日の運営も自前でやるしかありません。ボールボーイや担架スタッフ、モギリなど多くのボランティアスタッフの協力を頂いています。この方たちは試合を見られないわけですから、なんで手伝ってくれるんだろうと理由を考えた場合にやっぱり熊本が好きだからではないかと思うんです。それから達成感、喜びの部分。ロアッソは観客としてあるいは運営スタッフとしてなど色々な関わり方があり、それだけ多くの方に支えられているということですね。 T1park記者 仕事をする上で大事にしていることはなんですか。 永田会長 一番大事なのは「誠実」です。今回債務超過で皆さんにお願いをする時に朝礼でスタッフに伝えたのは、これはもしかしたら神様がくれたチャンスかもしれないということ。絶対に感謝の気持ちを忘れないでほしいし、会社がひとつになれるチャンスをつかもうと。だから嘘をつかないでくれ、さぼらないでくれ、情報を共有してくれ、それが本当の意味でチームになるために必要なことだからということを話しました。それから何ヶ月か経ってスポンサーから車を貸して頂いて、朝礼でその車の中にお菓子の食べかけが残っていたという情報が入りました。そのとき私はここに来てこんなに怒ったのはないくらいに怒鳴りつけました。 それから「素直」であること。失敗は誰でもあるわけで、転んだことが失敗ではなく起き上がろうとしないことが失敗なんです。その後に自分でどうリカバーするか。その努力をしないと馬鹿にされますからね。 |
T1park記者
学生時代の思い出を教えてください。 永田会長 学生時代、有斐学舎という学生寮に入っていまして今でもお互い奥様をつれて集まり思い出話で盛り上がります。私はもしかしたら有斐学舎に行ったから大学を中退したのかもしれないけど有斐学舎にいたおかげで人間形成の面ですごく役立ちました。130人の男が共同生活をするのですが中にはとても優れている人間がいます。私も本は結構読んでいましたが私が読んでいない本も結構読んでいたり、機械の調子が悪いと「修理しますよ」という人間がいたりして。自分に持っていない才能を持った連中がいっぱいいる。言葉で表現は難しいけれど人間が素で付き合っていると感じるものがあるじゃないですか。 T1park記者 有斐学舎について教えてください。 永田会長 東京やその周辺の大学、大学院で学ぶ人のための男子学生寮です。違う高校を卒業し、違う大学に通う人たちが一緒に暮らします。私たちが入っていた時は田中角栄の私邸の真裏にあり、結構な広さの敷地があって体育館やプールもありました。そこに65室130人くらいのメンバーが住んでいました。今は40~50人くらいかな。寮費が安いのも特徴で今でも5万円くらいあれば食事もつくのではないでしょうか。 |
T1park記者
その団体生活の中で上下関係などを学ばれたわけですね。 永田会長 たしかに上下関係もあったけど、そこでは学力も体力も関係ないわけ。語弊があるかもしれませんが動物は最初吠えるけど自分が敵わない相手だと感じると尻尾を巻くわけで有斐学舎での生活も似たものがあったように感じました。それが私はすごくためになったと感じています。しかし、それは結果論であってそれが嫌で途中で辞めていく人も沢山いました。ただこの歳になって一番集まりやすいのはこの時のメンバーですね。それぞれに色んなグループを作っていますが、みんなが気兼ねなく自由に楽しく過ごせるのは有斐学舎のメンバーだろうと思います。 T1park記者 有斐学舎を巣立ち熊本で活躍されている方も多いのですか。 永田会長 先日集まったのは放送局の役員や熊本県文化協会役員、飲食店オーナー、バス会社社長、お菓子メーカー社長、大手飲料メーカーの支社長などでした。他にも多くの方が第一線でご活躍されています。 有斐学舎の友達は一生ものですが、だからといって有斐学舎の人たちとしか付き合ってないかといえばそうじゃないわけで色んなところに友達ができたのは本当にありがたいですね。 |
T1park記者
熊本青年会議所(JC)理事長も務められました。JC時代を振り返っていかがですか。 永田会長 JCは私にとって目からウロコでしたね。わりと組織が大きい所でしたので色々なルールやノウハウがありました。会議の進行や物事の計画から実行、サイクル化までJC時代に学んだことはどこに行っても自信をもってやれるようになりました。また独立心のようなものも身に付いたと思います。 T1park記者 行政とも強いつながりをお持ちだと聞きます。 永田会長 JC時代に熊本県職員の有志たちが22世紀クラブというのを作りました。不定期開催の勉強会で、県庁外の人間も呼ぼうということで私たちも参加していました。その中に私と同い年で東京で仕事をしている人間が参加していました。彼はとても優秀で「無から有を作れる」人間です。22世紀クラブのメンバーはその後商工観光労働部長や環境共生部長など何人も部長職につきました。彼らはなんのために22世紀クラブを作ったかというと10年後に自分たちが役職を上がっていく中で引き出しを広げようという考えでした。 その影響もあって私がJC理事長時代には涼風の会というのを作り社外アドバイザーを入れ、その人達と一緒に熊本のことについて意見を交わしていました。そのメンバーが現在の熊本商工会議所の田川会頭だったりするわけです。今思えばそういうのも人脈形成に役立っているのかもしれませんね。 |
T1park記者
高校時代はどのような学生でしたか。 永田会長 全くの劣等生というか喧嘩太郎のような悪ゴロでしたね。学校で喧嘩もしましたし。熊高は喧嘩をすると即謹慎なのですが私は謹慎になりませんでした。なぜかというと喧嘩の件が職員会議で話題になった時、ある先生が「永田は理由もなく人を殴る奴じゃないから理由を聞いてからでいいんじゃないですか」という風におっしゃって生徒指導の先生も「うん、永田はそぎゃんばい」と言われそれで不問だったんです。私は正義と思ってしたことですがむこうはそれくらいで殴られなきゃいけないのかというのはあったかもしれませんね。当時私は謝るつもりがなかったのでその時ばかりは親父に殴られました。空振りでしたけど。笑い。 |
T1park記者
人間関係の広げ方のコツを教えて下さい。 永田会長 私は「これ以上でもなければこれ以下でもない」というのが子供の時からずっと好きな言葉なんですよ。「これ以上でもない」というのはそんなに褒められるものではないので変に褒められるとくすぐったいんですよね。逆に「これ以下でもない」というのはなめられてはいけないということ。相手に一目置かれなければいけない。自分の専門分野に関しては自分からあまり喋らない方がいい。だけど何かの時に尋ねられたらきちんと答える事ができる。それが何回か続くと「あいつは只者じゃないぞ」となるわけです。私は上から目線で接することもないしペコペコもしない。常に自分をPRするとそれに疲れてしまうから自分の立ち位置をしっかり見ておけばいいんです。そしてその立ち位置は決められた立ち位置ではなくて変化ができる立ち位置ですから。 T1park記者 人を引き寄せるポイントはなんでしょうか。 永田会長 それはわかりません。笑い。まぁ笑顔は大事でしょうね。それから清潔感。これは基本ですね。作り笑顔はすぐバレるし、清潔感はすべてに通じるでしょう。外見も心も清潔感が大事です。 |
T1park記者
若者へエールをお願いします。 永田会長 人間には自分ひとりでできる範囲で生きていこうとする人と周りの力を集めて生きていける人がいます。当然、人間ひとりでは生きていけないから他の人に認められる生き方をしなければいけない。自分がレベルアップする努力をしていかないと周りも変わってこない。自分が変わるからこそ周りが変わるし、周りにいる人達も変わってくる。自分の土俵を持っておくことが大事。そして戦うときには自分の土俵に連れていくと勝ちやすくなる。自分の努力は全部自分にかえってきます。人に期待し過ぎると裏切られる。人の役に立てるような人間に自分を持っていくこと。すると結果的に周りが助けてくれると思いますよ。 T1park記者 ありがとうございました。 |