【プロフィール】
昭和5年7月5日生まれ。 福岡県出身。熊本高校‐熊本大学教育学部‐大正大学大学院文学研究科国文学専攻修士課程・博士課程を経て、増上寺(東京都)で浄土宗教師の資格取得。昭和33年鎮西学園勤務、同42年鎮西高校、真和中学・高校副校長、同49年鎮西高校、真和中学・高校校長、同53年県私立中学高等学校協会会長、同54年鎮西学園理事長就任。平成2年九州地区私立中学高等学校協議会会長、日本私立中学高等学校連合会副会長、常任理事などを歴任。 若者へのメッセージ 「耐えるということが大切」 |
T1 park 記者
鎮西学園は長い歴史をお持ちですね。 上田 鎮西学園、鎮西高校は昨年で創立125周年、今年で126年目を迎えました。真和高校は54年目です。鎮西高校と真和高校と性格の違う学校が同じ一つのキャンパス内に存在しており、非常にユニークな学校だと思います。 私が鎮西学園に勤務を始めた昭和33年当時は、今の学校と違って、色んな人が多くいました。今では考えられませんが、当時は全校生徒が一番多い時で約2千人以上いました。入学試験は教室を全て使って実施していました。あと少しで体育館でも使わないといけないほどでした。 年月が過ぎるのは早いものです。中高一貫教育の必要性を感じ、全国あちこちを巡り、新たな構想を練って真和中学校・高校を設立することもできました。その認可申請の際、当初は1つの学校に2つの学校を作るのは異例で難しいかと思われました。しかし、何とか許可が通り、ホッとしたことを覚えています。限られたスペースをやりくりしながらのスタートでした。 これまで校舎を徐々に建て増してきました。来年からは本館を新たに8階建てに建て替える計画を進めているところです。 |
T1 park 記者
部活動を通じた人間形成も盛んですね。 上田 文武両道を掲げています。頑張る部活動に特化してさらに伸ばしていきたいと思っています。部活動を通じて、心が定まった生徒は地道に努力する人が多く、勉強もできます。勝とう勝とうと思っているだけでは上手くいかないこともあります。試合中のピンチを救うのもそうした心を磨いた生徒一人一人の成長があるからだと思います。 また、部活ではマナーの徹底が見られます。例えば野球部ですが、相手があって野球が出来るわけです。相手チームは敵ではなく、一緒に野球ができる仲間であり、相手チームに感謝の気持ちを持たなければなりません。試合中の挨拶はもちろんのこと、キャッチャーフライで相手チームのキャッチャーがマスクを取り落した場合は、本校の選手は必ずマスクを拾って、汚れを掃って手渡すなど立派なマナーが身に付いています。 そして、心を磨くには掃除が一番大切です、心を掃除するという意味もあり、大学進学・勉学にも影響を及ぼしてきます。しかし、文武両道と言いますが、大変ですよ。練習後の疲れた体で勉強に集中して打ち込むことは、そう簡単にはいきません。本学園では、特に勉強を念頭に置いて部活動にも励んでもらいたいと思っています。学業も部活動も頑張っていくという学校の体質を強化していく考えです。さらに活力ある学校になると思いますよ。鎮西高校では来年から特に大学進学コースに力を入れていく予定です。 |
T1 park 記者
真和中学・高校は特に学業面で秀でていますね。 上田 真和中学校では、始業前に早く来た生徒から自ら進んで読書をする習慣があるんですよ。好きな本を自主的に読んでいまして、先生が指導に付いているわけでもなく、単に猛烈に読書好きが集まっているんですよ。これには私も非常に驚きましたね。生徒の多くが将来医学部に進学し、医業を志望する強い意志と夢を持って勉強に励んでいます。来年は中高一貫した医学部進学のコースの強化を考えています。 部活動も盛んで、最近では、理科や数学の知識や応用力を競う「科学の甲子園」では真和中学・高校が共に全国大会出場を果たし、真和高校の化学部が優勝しました。囲碁将棋でも優秀な生徒がいます。 |
T1 park 記者
仏教精神を基盤とする鎮西学園で身に付けて欲しいことは。 上田 本学園は仏教精神を基盤とした人間教育を大切にしています。登下校時には、正門正面の観音菩薩像を安置した「四恩塔」に向かって生徒も先生も自然と一礼を行う姿が定着しています。毎朝の朝礼では「誓いの言葉」を全生徒が唱える時間を設けています。こうした教えを通じて、自分のことだけ考えるのではなく、相手のことを考える「和」を重んじ、報恩感謝の心を持った豊かな人材育成を追求していってもらいたいと思っています。 T1 park 記者 理事長が今でも忘れない、ためになった経験は。 上田 私は16歳まで福岡にいました。父は鎮西高校の校長として移ってくる前、福岡で浄土宗の住職をしていました。ですから小さい頃は私もお寺の手伝いで掃除もやっていましたし、学校から戻って父の代わりに御経を挙げに檀家さんを回っていました。毎朝父の教えに沿って御経を読み覚えたりもしていました。 中学校の頃に重い肋膜炎にかかり、病気が長引いて苦しみました。しばらくは親からも無理せず勉強するなと言われましたね。勉強ができず耐えるしかありませんでした。しかし不思議なことで、勉強をするなと言われるとやりたくなるんです(笑)。 |