【プロフィール】
1956(昭和31)年5月29日生まれ。熊本市出身。真和高校‐日本大学経済学部卒。ロイヤル、カネ美食品勤務を経て、1982年㈱ヒライ入社、1998年5月から現職。2011年11月からは熊本商工会議所副会頭も務める。盛和塾熊本の代表世話人の1人。趣味は読書、絵画 若者へのメッセージ 「たった一回限りの人生、力一杯生き抜け」 |
T1 park 記者
ヒライの近況を。 平井 現在、熊本、福岡、佐賀、大分の4県全て直営で123店舗を展開しています。前期売上高(5月決算)は連結で203億円、経常利益11億3千万円でした。今期目標は売上高230億円で15億円を目指しています。お陰様で、まずまず順調です。売り上げは既存店ベースで前期比107%、グループ全体で113~114%と推移しており、必死に頑張っています。 最近の品揃えや店舗の傾向としては、種類をぐっと絞り込んでブラッシュアップを図っています。例えば、古い店舗から新タイプの店舗にリニューアルを進めています。本社の近くでしたら上代店があります。ヒライは比較的どちらかというと、ブルーカラーに愛されているような店ですが、今後はコアな客層も大切にしながら少しずつ女性にも気に入って頂けるような店づくりに取り組んでいきたいと思っています。 T1 park 記者 今後の展望は。 平井 もっともっと県民市民に密着した近い存在になることです。これからも「食のインフラ、食のライフライン」という我社の使命を目指していきます。インフラとは具体的に言うと電気やガス、水道ということですよね。現代生活に無くてはならないものすごく必要とされるものです。つまり、「食のインフラ」を目指すということは、当社の店舗や商品が近くに存在していなかったら、不便で困ると言われるぐらいの店になりたいという、大きな夢と願望を常に持って今後も取り組んでいきたいということです。もっともっと皆さんと距離が縮んで、店舗がまだないところには当然出店せざるを得ないというような状態になりたいですね。そうすれば自ずと事業は拡大してくでしょうし、店舗数も増え、業績も伸びていくと思います。それが大きな目標です。 T1 park 記者 仕事をする上で大切にしていることは。 平井 食を通じて世の人々に幸せと健康をもたらすこと、そして食のインフラ、食のライフラインになるための自覚と誇りを持たなければならない。これが我社の使命です。そして、その使命をきちっとベースにしながら、経営理念があります。 その経営理念とは、一つ目に質の高い食品とサービスをお客様に提供し、愛され、信頼される会社を目指すこと。二つ目に正しい人間の感性とお互いの幸せを追求すること。三つ目に社会の幸福と繁栄を・・・というのがあるんですけど、そういうのを考えながら仕事をやるわけですから、絶対に、使命を忘れずに“手を抜かない”ということでしょうね。明るく前向きに、ど真剣にやるということです。それ以外には何もないんじゃないかな。 T1 park 記者 盛和塾熊本など今も熱心に勉強されますが、その切っ掛けは。 平井 仕事をやりながら色々な異業種交流会や勉強会で30歳代の頃にネットワークが広がったような気がします。そんな時に友人から誘われて盛和塾熊本の立ち上げに発起人の一人として加わったんですよ。当時は盛和塾や京セラの稲盛和夫さんについてあまり詳しく知らなかったんですよ(笑)。そして発会式で稲盛さんと初めて出会って、何か雰囲気が違うオーラがあるなあ、と強く感じたんですよ。それから間もなくして稲盛さんがKDDIを立ち上げ、京セラもだんだん大きく成長し、経営者としての偉大さをあらためて分かってきました。僕も稲盛さんから経営者の考え方や資質など色んなことを教わったように思います。 |
T1 park 記者
稲盛さんの教えは社長の経営理念にも影響しているんですね。
平井
もちろん影響しています。使命や理念ということはそもそも、何故ヒライという会社が存在しているのか、ということから、自分は世の中に何のために生まれてきたのか、何をするべきなのか、というところまで自分自身が納得いくまで考えていかなければなりません。そうしてふっと納得できたときに我社の精神的な支柱のようなものができるのだと思います。
ある時、稲盛さんが僕に向かって言ったんですよ「経営理念というのはね、ものすごく大事なんだよ。だけどね、経営者が変わったら変えるぐらいの深い想いがないといけない。借りてきた経営理念では自分の経営はできないよ、しかし、絶対に変えろと言っているわけじゃない。自分の会社をしっかり一から考え直して、存在理由から立ち止まって考えてみることも時には必要なんですよ」と。それまで経営理念というものは決して変えてはいけないものなんだと思っていたんですが、こうしたアドバイスを受けて、長い間僕も自分自身で会社の経営理念を考えてきたんですよ。もし、あの出会いが無かったら、今は無かったかもしれません。もちろん仕事は好きでがむしゃらにやっていたかもしれませんが、売り上げの数字を追いかける方法論の部分にだけ依存する経営になってしまい、ある程度数字が良くなったら天狗になって焦げていたかもしれませんね。稲盛さんと出会ったお陰で経営哲学が少しずつ変わって今日に至ったのだと思います。
T1 park 記者
どんな高校時代を過ごされましたか。 平井 いやあ、中学高校時代はあまり褒められる生徒ではなかったと思うよ(笑)。いとこが真和高校ができた当時に先生をやっていて、それが切っ掛けで入学しました。元気が良すぎてね。周囲に迷惑を掛けていたと思いますよ。 T1 park 記者 若い頃にスポーツは何かされていましたか。 平井 大学時代は、スキューバや極真空手などをやっていましたね。しかし、どちらかというと大学を出て社会人になってからのほうが真剣にやり始めました。心身を鍛える上でものめり込んでいったように思います。極真空手や合気道など武道を色々やりましたよ。時には腰を痛めるなど怪我をするぐらいまでかなり激しくやってましたね。しかし、「経営者って、格闘家よりも激しいものだ」と稲盛さんもよく話すんですよ。いやあ、確かに似たところがあって、正にそうだなって思います。次は体術だけではなくて、もっと精神的な部分に突っ込んでやってみようかなと思っているところです。 T1 park 記者 若い頃に頑張られたことで、今の自分にとって役立っていると思うことは。 平井 大学を卒業して、仕事に入ってからは性根を入れ替えました。「今からが俺の人生の幕開けだ!」という思いで、仕事は朝早くから一日も休まず働きましたねえ。最高に働いた時は朝2時から夜11時まで、ぶっ通しで1年間働き続けました。ちょうど福岡に工場を立ち上げる時でした。 実は、自分の結婚式の日も朝5時から仕事をやっていて、つい熱中して時間をすっかり忘れちゃって、1時間も遅れて行ったんですよ(笑)。いやあ、披露宴には間に合ったんですが、式が1時間ずれてしまって。そしたらね、女房がかんかんに怒ってしまって、記念写真が撮れなかったんですよ。カメラマンが配慮してくれて、後で撮影してくれたんで助かったんです(笑)。 今もしっかり働いてますけど、若い頃は今よりも随分無茶をして働いていたと思いますよ。 T1 park 記者 好きな言葉は。 平井 「わが行く道に茨多し、されど生命の道は一つ、この外に道なし、この道を行く」という武者小路実篤が言った言葉です。 それから、「自反而縮 雖千萬人 吾往矣」(自らかえりみてなおくんば、千万人といえども、われゆかん)という孟子の言葉です。要するに、自ら壁にぶつかったり、周囲から猛反対を受けた時に、しっかりと省みて反省して、もう一度自分のやろうとしていることが正しいかどうか、もし自分の良心に恥じないことであるならば、相手が千万人だったとしても立ち向かう勇気が必要だということです。 T1 park 記者 若者への応援メッセージを。 平井 たった一回限りの人生だから、悔いのないよう今日一日を力一杯生き抜くということです。生まれ変わるなんて嘘だと思いますよ。一日一日を大事に大事に一生懸命燃え尽きるぐらい生きるということなんです。これを僕は今、毎朝4時に出社して、まず事務所の鍵を開け、工場をずっと歩き回って、事務所の席に戻り、スケジュールを書きながら確認します。そして必ず最後に「たった一回限りの人生だから、悔いのないよう今日一日を力一杯生き抜く」と自分に言い聞かせるように毎朝書くんですよ。 T1 park 記者 ありがとうございました。 |