鹿子木 賢輔 (かなこぎ けんすけ) 必由館高校 和太鼓部 顧問 【プロフィール】 1960年11月20日生まれ。58歳。山鹿市出身。 鹿本高校-法政大学法学部卒。 2000年必由館高校に赴任、2001年和太鼓部同好会(現和太鼓部)が発足し顧問に就任。また2003年、部長として兼務していた同校野球部が夏の甲子園に初出場。 2006年、同校和太鼓部が初の全国大会出場(日本太鼓ジュニアコンクール)。2008年全国高等学校総合文化祭(全国総文)郷土芸能部門に初出場し文化長官賞および優秀賞を受賞。以来、全国総文に通算7度出場し通算4度の全国1位に輝く。その他全国3位等、多くの大会・コンクールにおいて上位入賞多数。 夢は見るものじゃなく 叶えるものだ |
演奏上の話をすると、「観ていて綺麗」と言われることが多いですね。それは1人ひとりの(太鼓)バチの持ち方、打ち込み方であったり、全員の揃い方であったり。かつて多くの高校に真似されたこともありましてね、お陰でその年は不本意な成績を残してしまいました(笑)。もちろん、そこからまた磨きをかけ、勢いを取り戻しましたが。
いずれにせよ経験者がほとんどいない分、全員の息が合って「必由館ならではのカラー」を出しやすいというのも、特徴かもしれませんね。和太鼓の大会は、厳しい時間制限がある競技ですから、「息が合う、揃う」というのも大切な要素の1つかもしれません。
「シビアな観客」として 本音を大切にしている ―指導をする上で大切にしていることを教えて下さい。 鹿子木 技術的な指導者は創部当初からお2人おられます。実は、私は経験者でも何でもないんです。和太鼓部も、かつて兼任していた野球部も未経験者です。学校管理職からの要請をきっかけに顧問になったというのが実情です。顧問という立場をきっかけに、以前は私自身が太鼓を打つ機会もありました。ですから「シビアな観客」として、部員にアドバイスすることはよくあります。私がやっていた剣道の竹刀の握りや素振り、体捌きなどと通じるところも多く、「こっちの方が理にかなっている」「こうした方がいい」というのが、何となくわかるところもありましてね。 |
鹿本高校時代、応援団の団長を務めた時。 | 自分の弱さに勝つため 努力することが大切 ―学生時代の、今に活きる「学び」を教えて下さい。 鹿子木 高校の恩師で剣道の先生だった方が仰っていた、「己に克て」という言葉は今でも胸に残っています。 正直な話、経験者でもない部活の顧問をすることには当初、なかなかポジティブにはなれませんでした。けれど「どうせやるなら中途半端にやりたくない」という思いでサポート(グランド整備や遠征時のバス運転)し、私なりに顧問を楽しんでいました。それが、なんと初の「夏の甲子園」出場。それはもちろん選手や監督の頑張りゆえです。彼らの姿から、「夢の実現のために努力すること」の重要さを改めて感じましてね。和太鼓部の生徒に「お前たちも全国に行きたくないか」と、週2日の練習を週5日に変えてはと提案し、紆余曲折を経つつも彼らが自主的に頑張るようになって、全国へ行くようになったのもそれ以来です。 |
いろんな情報を
咀嚼する力を養って
―若者へメッセージをお願いします。
鹿子木
私たちが若かった頃に比べ、教師に反発するでもないし自己主張するわけでもない。それだけなら良いことのようですが、一方で受け身というか、自主性やチャレンジ精神に乏しい若者が多いように感じます。
私たち教師の言うこと含め、まずは人の言葉を鵜呑みにしないよう気をつけて欲しです。何が正しくて何が悪いとかって、相対的なものですよね。ですからいろんな情報をそのまま受け入れるのではなくしっかりと咀嚼し、自分なりの創意工夫へ繋げる力を身につけて欲しい。そして失敗してもいいから、夢や目標に向かって恐れることなくチャレンジし、努力して欲しいですね。