【プロフィール】
佐賀県多久市出身 24歳 日本人の父とコロンビア人の母を持つ 佐賀学園高等学校~崇城大学建築デザイン学科卒業 崇城大学起業部 初代部長。第1回崇城大学ビジネスプランコンテスト(以下、ビジコン)にて『南米コロンビアにおける飲食店事業』をプレゼンし、初代チャンピオンに輝く。大学卒業と同時に起業し、現在はコロンビアにて実際にカレー事業を展開する 所属 KASORI inc. 代表CEO 商品名『NINJA KARE』 2015年6月設立 社員8名 後輩へのメッセージ 「全部全力で!」 |
T1park記者
大学卒業後すぐに起業していらっしゃるわけですが、近況を教えてください。 加曽利 コロンビアの首都ボゴタにて、日本のカレーライスを販売しています。商品名は『NINJA KARE』(忍者カレー)です。フードトラック(販売カー)であらゆる場所に現れる、街中を駆け巡る、どこにいるかわからないが名前の由来です。ポークカレーとベジカレーの2種類あって、味は甘口です。コロンビア人は辛口が苦手なので。まだ始めて間もないですが、毎月売り上げ目標は達成しています。2016年は新しくオフィスと店舗を作り、販路拡大を図ろうと考えています。 T1park記者 何故カレーを販売しようと思ったのですか。 加曽利 小さいころからコロンビアに年に1、2回旅行で行ってたのですが、その時に日本食をお土産に持って行ってたんです。その中で一番人気がカレーライスでした。僕自身も週2,3回カレーを食べるくらい好きで、また、コロンビアにはすし、ラーメン、お好み焼きはあったけどカレーはなかったんです。それで、コロンビアでカレーを売ろうと決めました。 T1park記者 そもそも卒業後すぐに起業を志したきっかけは。 加曽利 元々小学生の頃から、自分は変な奴、何か人と違うことがしたいとは思っていました。最初は歌手になりたかったんです。『ショーンポール』というレゲエ歌手の歌をずっと聞きながら、「将来は俺も歌い手になって、俺がこの世の中を変えてやろう!」って思ってましたね。大学へ入学するに合わせて佐賀から熊本へ引っ越して来たのが2010年3月28日、今でも覚えてますが、その日に街中の下通に出てDJっぽい人を探したんです。 加曽利「すいません。俺DJになりたいんですけど」 DJ「ジャンルは?」 加曽利「ジャンルとかよくわからないです。違いもわからないです。とにかく音楽が好きで」 DJ「お前面白いな」 と、それからその人と付き合いが始まって、ごはん連れて行ってもらったり、DJのレッスンをしてもらえるようになりました。大学の仲間が11名集まり、チームとして活動できるようにもなり、ある先生にお世話になって機材も調達することができました。活動していくうちに全国の有名な歌い手の方とも繋がっていき、音楽を一緒に作ってました。 T1park記者 すごい行動力ですね。 加曽利 ただ、どこかレゲエの文化というかスタイルが合わなかったんです。悪いことがカッコいいみたいな風潮があって、それは少し自分では違うなぁと思ってました。 大学時代はそんな感じで過ごしてましたが、ある日、「これじゃ俺世の中変えられないな。そもそも俺自体が勘違いしてる気がする。ただ、カッコつけでやってる気がする」と思ってそこで音楽活動は辞めました。 T1park記者 その後は? 加曽利 次にスポーツにはまって、フットサルチーム作ったり、仲間と20人くらいでサッカーをしたりしてました。大学3年生の時に就活間際で「就職してしまったらもうできないかな」と母親に相談してフィリピンに5か月間、カナダに6か月間留学させてもらいました。 留学から帰ってきた後、ある先生に熊野先生の授業を紹介されました。その先生は良い意味で僕を変わってるやつと評価してくれてたんですが、「こいつ何かやるかもしれない」と思われたらしいです。何度か授業を受けて、熊野先生との懇親会にも参加し、その時初めて熊野先生としゃべりましたね。 熊野「外国人??」 加曽利「いやいや日本人です。笑」 みたいなやり取りをしたのを覚えてます。その時に、今思ってる事や自分がやってきた事を色々話しました。その当時2つの企業か |
ら内定を頂いてたのですが、就職するべきか迷っていて、熊野先生にその事も相談しました。
加曽利「就職したくない、自分で何かやりたいけどどう思いますか?」
熊野「アホか!」
って言われたんですよ。それは褒める意味の「アホか」なんですけど、熊野先生曰く、僕は就職したらダメって意味です。そう言われて今までの迷いが全部なくなり、これは何かの運命だ、自分はきっとどうなっても生きていけると思いました。そして次の日からすっぱり就活を辞めました。周りからは物凄く心配されましたけどね。
加曽利「就職したくない、自分で何かやりたいけどどう思いますか?」
熊野「アホか!」
って言われたんですよ。それは褒める意味の「アホか」なんですけど、熊野先生曰く、僕は就職したらダメって意味です。そう言われて今までの迷いが全部なくなり、これは何かの運命だ、自分はきっとどうなっても生きていけると思いました。そして次の日からすっぱり就活を辞めました。周りからは物凄く心配されましたけどね。
加曽利君と熊野先生
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T1park記者
熊野先生に出会って、自信と確信がついた訳ですね。 加曽利 そうですね。熊野先生との出会いが一番濃かったですね。2014年はいろんな良い人たちに支えられて、ビジコンも優勝して、自分でも結構ありえないような出会いが続きました。 T1park記者 起業部に入ってからの事を教えてください。 加曽利 最初は物凄く居心地が悪かったです。1年生しかいなかったので、4年生が馬鹿な事言ったらまずいなという気持ちがあったので。そういう状況で熊野先生が主将に任命してくれて、みんなの前でしゃべる機会も増えていきました。ただ、学科の先生たちの反応は冷たかったですね。 その後、ビジコンに出場しました。 ビジコンに向けていろいろプランを考えてたんですが、自信が全くありませんでした。どうもプレゼンとか硬い話し方が苦手で、しっくりこなかったんです。熊野先生から「お前はお前のスタイルでいけ」と言われ、周りの参加者はみんなスーツの中、僕だけGAPのパーカーを着て、こういう感じの話し方で出場しました。 そしたら優勝しちゃって、そこから、「俺行けるじゃん!」と自信がつきました。優勝して色んなメディアに出るようになってからはみんな応援してくれるようになりましたね。笑 T1park記者 起業部で学んだこと・今の仕事に活きていること 加曽利 やはり自分に自信がついたことです。熊野先生を通していろんな人を知るわけですが、社長っていろんなイメージがありますよね。色んな人を見てすごく面白かった。個人的に熊野先生に質問したり、週に2~3回一緒に飲みに行ったりしてました。飲みながら「ブランディングは何か。どういう風にしたらブランディングになるのか。起業するにはどれくらいお金がいるのか」という話をずっとしてましたね。経済学部の学生より知識量は少ないと思うけど、実際に使うことを勉強できました。車運転するのに、マニュアル本を全部読むより必要なことだけ教わったほうがいいじゃないですか。 基本熊野先生の部屋にいて、話の流れでご飯行って話が盛り上がって飲みに行ったり。そんな大学4年生時代でしたね。 |
T1park記者
学生の中で一番熊野先生と話してる時間が長いでしょうね。 加曽利 そうですね。今もコロンビアからたまに電話してますよ。熊野先生からもLINEのスタンプだけ飛んで来たりします。笑 T1park記者 最後に今後の夢を教えてください。 加曽利 コロンビア人はみんな日本人が頭がいいとか、発展してるとか、お金持ちとか、そんなイメージがありますが、日本にも足りないことがたくさんあります。 僕は今コロンビアを盗みに行っています。コロンビアの素晴らしい文化を吸収して、日本に持って帰って日本を変える事が僕の夢です。 T1park記者 コロンビアの良い所とは例えばどんなところですか。 加曽利 コロンビア人はプレイステーションを友達にプレゼントされて泣くんですよ。泣いて2か月くらい箱を空けないんじゃないですかね。笑 悲しい時は思いっきり泣いて周りの人と悲しんだり、また喜んだり、感情が凄く豊かなんです。今生きていけることに幸せを感じれる、貧乏だけど、幸せ満足度が世界で3位以内ですよ。 日本人はなかなか喜怒哀楽を表に出さないですよね。カラオケに行って「俺歌うまいな」、鏡の自分を見て「俺かっこいいな」と思うことあるでしょう。でも日本人はそれを表に出さないじゃないですか。凄い人たちは自分の武器に自信を持つことから始めてると思う。どんな凄い人でも僕らと何ら変わりない事から始まってるんですよ。 T1park記者 最後に、後輩へ応援メッセージをお願いします。 加曽利 例えば建築家になりたい。そのためには?大学に行く?他にも色々ルートがあるでしょう。何をするにせよ、自信をもってやっていくことが大事です。日本人は自分の良いところを表に出さないし、「無理」とすぐ言います。自分の武器に自信を持てないなら、それはすごくもったいない。今は馬鹿と言われてもいいから、自分の凄いところを探しまくって、テーマを作ってそれを絶対あきらめちゃダメ。 「やりたいことを自信もって、やる」ですね。全部全力で! T1park記者 ありがとうございました。
Writer R.Teraoka
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