京陵中学校在学時代の志水選手(写真1列目中央)
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この深いプールで、どうしてこんな凄いプレーが出来るんだろう
T1park記者 水球を始めたきっかけは。 志水 中二の時、学外の「熊本ジュニア水球クラブ」に入ったことがきっかけです。元々はサッカー部だったんですが、脚のケガのため手術、入院。治ってもすぐには元のようにプレーが出来ず、何よりまだ子供でしたからね。精神的に落ち込んでしまい、辞めてしまったんです。 ちょうどそんな時、仲のいい同級生が前述のクラブで水球をしていると知り、見学に行って驚きました。「この深いプール(2m以上)でどうしてこんなに早く動き、ボールを投げ、複雑な凄いプレーが出来るんだろう……」。僕は競泳経験者でもあり、何より球技が好きでしたから、双方の魅力を持つ「水球」というこの競技にすぐに魅かれました。そして一度やってみて、「自分には、このスポーツなんだ」と実感。以降はあっという間にのめりこんで行きました。 誰よりも早くプールに入って、努力を重ねたと自負している T1park記者 未来のオリンピック選手を育んだ学生時代は、どんなものでしたか。 志水 水球選手としての学生時代は、決して順風満帆だったわけではないんです。推薦で埼玉の高校に行きましたが、各県から実力者が集まるそこでは最初、技術・実力・知識共に劣っていました。それでもやがてジュニアの日本代表に選ばれはしたんですが、高2の時には代表メンバーから外されるなど、辛酸も舐めました。 そんな時やっぱり、落ち込むことは落ち込むんですよ。だけど「水球で全日本の代表になる」という明確な目標を持っていましたから、もうサッカーを辞めた時のように挫けることはありませんでした。自分に何が足りないのか、どこがダメなのかを徹底的に考え、誰よりも早くプールに入って練習を重ね、改善していく。周りが学生らしく遊んでいる時間もそのほとんどを水球に当てていましたし、本当に誰よりも努力したと自負しています。 僕は高校時代からずっとフローター(シューター)なんですが、外国の選手と比べると決して恵まれた体格とは言えません。だけどテクニック、特にいろんなパスやシチュエーションから高いレベルのシュートに持っていける柔軟性は、世界レベルでも長所と言えるはず。そんな今の自分があるのも、学生の頃から信念を持ち、努力を続けたからだと思っています。 オリンピック出場は、先人の苦労の積み重ねのおかげ T1park記者 水球日本男子がオリンピック出場を決めた、その契機と思うことは。 志水 努力の甲斐あって僕は日本代表の主将となり、昨年はアジア選手権で優勝。今年8月のリオオリンピック出場権を32年ぶりに獲得しました。 ただこのことに関しては、自分たちの頑張りだけではないと思っています。水球日本男子は長く「低迷していた」と言われたりもしますが、道が開けたのも水球に関わる先人の苦労の積み重ね、先輩方の地ならしがあったからこそなんです。僕を含めた現メンバー13人は、恵まれていると思います。 少し専門的なことを言うと、現在の大本洋嗣監督の戦略も大きいですね。まずは敵側に攻めさせ、マンツーマンのマークでボールをカットして、相手の守備が手薄になったところを一気に攻め込む。この戦法はリスクも高いんですが、そんな「攻撃的ディフェンス」を4年間貫いて磨き上げてきたことも、今回の結果につながったんだと思います。 今は水球がメジャーへのスタートラインに立ったところ T1park記者 今後の目標を教えてください。 志水 オリンピックという最高レベルの大会でも、行くからには負けるつもりなどありません。ただ、現実的な話をすると出場12チーム中、水球のプロチームがないのは日本だけなんです。ですから今年のリオ五輪では「ベスト8」を目標としていますが、それでもかなり厳しいと言われています。 だけど次の東京オリンピックにつなげることも見据え、どうにか良い結果を残したいですね。今は日本で、水球がやっとメジャーへのスタートラインに立ったところ。現在、水球に励んでいる子供たちに夢を与えるためにもまずはリオで精一杯、力を尽くしたいと思っています。 他人に流されず、日々進歩することを目指して欲しい T1park記者 若い読者たちへメッセージを。 志水 若い皆さんに一番伝えたいのは、これまでにも言った「あきらめないこと」の大切さ。誰に恥じることもない信念があるのなら、他人にバカにされたり否定されたりしても流されることなく、それを貫くこと。そしてただなんとなく漫然と生きるのではなくて、目標を持って生きること。その目標に向かい努力を続け、失敗しても挑戦することを繰り返し、日々進歩すること。 僕自身、そう生きてきたからこそ今の自分があると思っていますし、先に言った水球日本代表が戦略を貫いたエピソードも結局、そこに通じるんだと思います。「あきらめること」は、誰にとっても簡単な選択なんです。だけど誰にでも簡単に出来ることが、大した結果につながるわけはないと思うんです。 水球を通して、皆さんに元気、勇気を与えたい T1park記者 震災を受けた熊本の皆さんにも、メッセージをお願いします。 志水 実家は今も熊本ですし、今年4月の震災後は自分にも何か出来ることがないかと、こちらで支援活動をさせてもらいました。 だけどオリンピックを控えているということで、むしろ励まされることが多くありました。そんな経験を通して、自分が皆さんのために出来ることは「水球で最高のプレーを見せること」、「水球を通して元気、勇気を与えること」に尽きるんだと今、改めて感じています。 繰り返しになりますが、大切なのはあきらめないこと、そして何より「あきらめない」を「続ける」こと。まだまだ大変な状況にある方も多いと思いますが、やっぱりそのことがより早い復興、より良い熊本の未来につながるのではないでしょうか。 そしてもちろん僕も、「自分たちの」ではなく「みんなのオリンピック」だということを胸に刻み、「あきらめない」を「続けて」、オリンピックという最高の舞台で最高のプレーをお見せするつもりです。 T1park記者 ありがとうございました。
Writer T. Iwanaga
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し、あの出会いが無かったら、今は無かったかもしれません。もちろん仕事は好きでがむしゃらにやっていたかもしれませんが、売り上げの数字を追いかける方法論の部分にだけ依存する経営になってしまい、ある程度数字が良くなったら天狗になって焦げていたかもしれませんね。稲盛さんと出会ったお陰で経営哲学が少しずつ変わって今日に至ったのだと思います。
T1 park 記者 稲盛さんの教えは社長の経営理念にも影響しているんですね。 平井 もちろん影響しています。使命や理念ということはそもそも、何故ヒライという会社が存在しているのか、ということから、自分は世の中に何のために生まれてきたのか、何をするべきなのか、というところまで自分自身が納得いくまで考えていかなければなりません。そうしてふっと納得できたときに我社の精神的な支柱のようなものができるのだと思います。 ある時、稲盛さんが僕に向かって言ったんですよ「経営理念というのはね、ものすごく大事なんだよ。だけどね、経営者が変わったら変えるぐらいの深い想いがないといけない。借りてきた経営理念では自分の経営はできないよ、しかし、絶対に変えろと言っているわけじゃない。自分の会社をしっかり一から考え直して、存在理由から立ち止まって考えてみることも時には必要なんですよ」と。それまで経営理念というものは決して変えてはいけないものなんだと思っていたんですが、こうしたアドバイスを受けて、長い間僕も自分自身で会社の経営理念を考えてきたんですよ。もし、あの出会いが無かったら、今は無かったかもしれません。もちろん仕事は好きでがむしゃらにやっていたかもしれませんが、売り上げの数字を追いかける方法論の部分にだけ依存する経営になってしまい、ある程度数字が良くなったら天狗になって焦げていたかもしれませんね。稲盛さんと出会ったお陰で経営哲学が少しずつ変わって今日に至ったのだと思います。
ですから、色んな人と出会うなかで、相手の立場に立って物事を考えようと心掛けてきました。これはどんな職場でも同じだと思います。また、「誠実」ということは、どういうことかと言いますと、例えば、約束を守ることや、礼儀作法をきちんとすることなどは当たり前ですが、絶対に他人を裏切らないなどがあると思います。
それから、自分自身の男としての人間の幅を如何にして広げていくかが大切だと考えています。「度量の大きい人間になりたい」と思ってきたわけです。取材をする中で素晴らしい方々と出会って、その尊敬するような人の物事への考え方や応対、表現の仕方、行動に至るまで学び、吸収してきましたね。私はまだまだ途中ですよ。 転勤や部署異動などで人脈がぷちっと切れる人もいますが、これまで培った人間関係を切ってしまってはもったいないと思うんです。一度培った人間関係はずっと引き継いでいくことが大切です。年中のご挨拶や時には杯を交わすなど、人間関係のメンテナンスをやり続けていくことで人間関係がずっとつながり、人間の幅となります。ずっと人脈が生き続けることが、色んな仕事や人生の時折々で生かされてくるのだと思います。
人間はそんなに強いものではなく、必ずどこかの壁にぶち当たります。その壁にぶち当たった時にどうするかが大切です。しかし、壁にぶち当たった時に諦めてしまってはどうしようもありません。ぶち当たった時には自分が一番尊敬する人や目標にする人、親友に対して、自分の想いをぶちまけるんですよ。
これを是非若い人にはやってもらいたいですよね。人間必ず壁にぶち当たります。そして誰もが一人では絶対に乗り越えられません。もうどうにもいかない時には、白旗を挙げて助けてくださいと相談すれば良いんです。そうすれば、必ず誰かが励ましてくれますから。そして、また立ち直って頑張っていけば良いわけなんですよ。
きかをしっかり考えて、それに全力投球していくべきだと思います。よっぽど経済的に生活が困難であれば話しは別ですが、アルバイトをする時間があったら、クラブ活動や勉強に専念したり、本を読んだり、恋をして悩んだりすべきではないでしょうか。そういうことに時間を割くことが大切なんです。人生の中でも限られた自由で、貴重な時間です。若い時の時間を無駄に過ごして欲しくないと思います。真の人間関係が構築できる時代でもあるからですね。
T1park 記者 今日はプレゼントがあります。(T1 パークEnjoy! 人間学Vol.1) 高良さんの母校、九州学院空手道部監督の日吉先生が載っていますよ。 耳でしか行けない場所ってあると思います。僕の場合は本や映画や音楽だった。入ってくるだけじゃなくて自分からも行かなきゃいけないじゃないですか。そして、とにかく掘っていたと思います。浅くはなかったですね。全部深く掘って、掘って、掘って。本当に好きなモノはいくら掘っても楽しいんで。それは意識していたと思う。
政治家の出処進退は自分で決めなければならない、というのが私の信念です。いかなる決断にしても、他人任せにすれば必ず後悔すると思います。それに自分で決断して覚悟しなければ、困難に打ち克つパワーは生まれてこないと思うんですよ。自ら決断したことは自らの責任になる訳ですから、言い逃れは出来ません。人生を決めるようなことですから、相談されたほうも困るでしょうしね。
不出馬を決めたことも自分一人で考えた決断でした。市長の任期を終えて、役職が何もなくなった今の状況には不安もあります。しかし今は、市長としての12年間や政治家としての20年間を振り返って、これから自分に何ができるのか、あるいは何をやらなければならないのか、などを考えながら、政治家としての新たな目標を見極める大切な時間にしたいと思っています。また政治家として自分に足りない部分を補い、後で振り返ってみても意味のある時間にしたいと考えています。政治家としての節目として、区切りをつけて、次の目標に向かっていきます。
県大会をはじめ、あまりにも敗けが続いたものですから、自分がチームの勝利のために何ができるのかと真剣に考えた時に、裏方の仕事を徹底的にやることが、私がやらなければならないことだと結論付けました。その後は、ようやく気持ちを切り替えて、裏方の仕事に徹底するようになったんです。高校時代の野球部で経験したことが、今の自分の心の支えになっているような気がします。陽のあたりにくい地味な仕事をしている人がいるからこそ、組織というものが成り立っているのだと、その大切さを考えさせられました。
結局、最後の夏の大会では、ベスト8の一歩手前で敗れてしまいました。試合を終えて、済々黌のグラウンドに戻り、全部員が集って、3年生一人一人が最後の言葉を述べるのですが、その時に同級生から裏方をやってくれた感謝の気持ちや、あれだけ頑張ってくれたのに敗けてしまって申し訳ないと話してくれた時には、「もっと早くから裏方に徹していればよかった」との後悔の念と、「最後まで辞めずに続けて良かった」という気持ちとが交錯しました。 藤崎台球場の中でも特に思い出の場所は、決してピッチャーやバッターで大活躍したわけではありませんので、三塁ランナーコーチャーズボックスです。私にとっての晴れ舞台だったわけで、3年間の思い出が詰まった場所なんですよ。
T1 park 記者
母校には「三綱領」という理念もありますよね。 幸山 正倫理 明大義(倫理を正しくし大義を明らかにす)、重廉恥 振元気(廉恥を重んじ元気を振ふ)、磨知識 進文明(知識を磨き文明を進む)。その中でもやっぱり、特に一つ目「倫理を正しくし大義を明らかにす」が、今の政治家に問われているように感じていました。この三綱領に恥じないように、常に胸に刻み、責任ある行動をしていかなければならないと思います。例えば、現在の政治不信の根本は、倫理観の欠如ではないかと思います。三綱領の精神を守ることが、政治の信頼回復につながることかもしれません。
お客様が銀行を選ばれる理由一つにしてもそうだと思います。単に金利条件が良いということだけをもって銀行を選ぶという方は2割ほどしかいらっしゃいません。お客様自身の事業にどれだけ興味を持って、理解を示し接してくれているかという点で銀行を選ぶ方がほとんどなんですよ。だから、我々はお客様の思いを汲み取り、感じ、理解し、本気でサポートしていくことが必要です。こういうことが顧客起点だと思います。
まずはお客様のもとへ何度も何度も通うわけですよ。その度に「もう来なくていいよ」と断られました。しかし、「はい、そうですか」と引き下がっていたのでは何も生まれません。そこで諦めることなく「誠心誠意」を持って通い続けたことで、「あなたがそこまで熱心に来るんだったら普通預金通帳の一つぐらい作ろうか」と言っていただいた時はとても嬉しく、ありがたいと感じました。本当に1000円の普通預金口座だけなんですけどね。そこから取引が広がり一つの店ができていったんですよ。
そんな苦しい時期に先輩行員から言われた、今でも忘れない言葉があります。それは「水を飲むときは井戸を掘った人のことを思え」という言葉です。今、水を飲もうと思えば、蛇口をひねると当り前に水が出てきますが、元々そこには井戸を掘った人がいて、そのお陰で水が飲めるわけです。そう考えてみると色んなことに気が付くことができます。 お客様とのお取引というのは、ただ当り前のようにして作られただけではなく、先人の並々ならぬ努力があって生まれたわけですから、私の代で失うことは絶対にできないわけですよ。井戸を掘ることがどれだけ大変な役目かと鹿児島勤務時代に気付かされたように思います。私はこれを若い時に経験することができて良かった。行った先々で新しい井戸を掘る、この大切さを学びました。
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