遠藤 洋路 熊本市教育長 【プロフィール】 1974(昭和49)年12月15日高知県生まれ。45歳。埼玉県立川越高校-東京大学卒業。1997年文部省(現・文部科学省)入省。2002年ハーバード大学ケネディ行政大学院修了(公共政策学修士)。2006年7月文化庁文化財部伝統文化課課長補佐。2007年4月熊本県教育委員会社会教育課課長。2009年8月内閣官房知的財産戦略推進事務局総括補佐。2010年10月同省退官、同年11月より「世界に誇れ、世界で戦える日本」のための人材・政策・組織を創るために起業した『青山社中株式会社』の共同代表。2014年4月法政大学キャリアデザイン学部兼任講師(現代教育思想)。2017年4月より熊本市教育委員会教育長。 自分で決めたことに 全力で打ち込もう |
しかし今回はそれより先になる学校もある、もしかしたらずっと先になるかもしれないという、「これまでの常識が全く通用しない」状況と言えます。そうした状況への具体策として、まずは学校に来なくとも授業が受けられる仕組みを推進しています。現在、市立の小中学校では生徒3人につき1台のタブレットを貸し出していまして、足りない分は自宅のPCなどを使ってオンライン授業を始める予定です。これをなるべく早く1人1台用意して、全員が確実に授業を受けられるようにしたいと思います。
またこうした状況をひとつの機会として、今後につなげることも考えています。たとえば入学式を始め様々な行事・プログラムが延期や中止になっているわけですが、そんな現状を通して「これは無くても良い、これは思っていた以上に大事なのでは」など、普段は気づかなかったことが見えてくるはずです。ウイルス感染の広がりはもちろん憂うべきことですが、そのようにこうした時期だからこそ「より良い学校教育のあり方」をしっかりと見据え、熊本の未来に役立てるべきだと思っています。
そうした教育をより推進するのは上述の通りですが、このICT教育も私たちが目指す「学校改革」という、もっと大きな流れの中にあるものです。これまで様々な教育の現場を見てきましたが、私が学生だった昭和の頃の「受け身な教育」と大差ないんですね。世の中はどんどん変わっていくのに、教育がこれではいけないということで、「令和に相応しい学校のあり方」を以前より模索してきました。その結果として「生徒が自ら調べ、探求する」アクティブラーニングを推進し、学びたいことを思う存分学べる学校づくりを目指しています。そして大学や社会に進んでも、ギャップに戸惑うことの少ない教育環境を整えたいと。タブレットの導入も実はオンライン授業のためだけではなく、そうした教育を進めるためのものなんです。
また、生徒だけでなく先生たちの環境も変えていかねばと思っています。働き方改革を進め、若い人が魅力を感じる仕事にし、志望者増につなげる。そのように、学校全体の改革に力を入れていきます。
主将も務めた、東京大学の弓術部時代。 | 勉強するのは点数ではなく 「人格の完成」が目的 ―学校教育を通して、学生に特に学んで欲しいことは。 「変化に対応できる力」です。新型コロナが象徴的ですが、ほんの数ヶ月前には想像もしなかった事態に世界中が陥る、今がそんな不確実性の高い時代であることを改めて実感しています。 そんな時代に柔軟に対応し、どんな状況でも自分を発揮できる力を養うこと。そのためには私達が目指すように、能動的に学び行動していくことが重要になると思っています。 ―学生時代の、今に活きる「学び」を教えて下さい。 大学時代は弓術部で、とにかく一生懸命部活に打ち込みました。それこそ24時間365日、ただひたすら弓道に賭ける日々。そんな経験を通して、手段・目的・結果を区別することの大切さを学びました。 弓道では射法は「手段」、中(あ)たり(弓道における「的に命中する」の意)は「結果」、そして「目的」は理想の射の追求であり、そのために己を磨くことと言えます。教育においても同様の区別ができると思うんです。例えば勉強は「手段」、そして試験の点数は「結果」であると。ですが現場ではそれが目的であるかのように履き違えられ、教育基本法の最初に出てくる「人格の完成」という目的は、脇に追いやられがちです。教育長として地域教育の手段・目的・結果を区別しながら意義を問い続ける上で、弓道に打ち込んだあの日々は確かな糧となっています。 |
また4年時、部員約100名の主将を務めたことも役立っていますね。当時もいろいろと改革を進めたんですが、ピンとこなかったり反対する部員もいるわけです。そのため1人ひとりとしっかり話をして、きちんと納得してもらう手順を丁寧に踏んでいきました。それに比べると、上下関係の明確な今の組織でリーダーを務めることは、むしろラクな面もあるかもしれません(笑)。
大学時代の私のように、「何かひとつのことに熱中する、ひたすら没頭する」日々を経験して欲しいと思います。そうした経験を通してこそ本当に糧となるものが身につく、そして本当に自分の目的だと思えることに気づけるのではないでしょうか。自分が何をすべきか自分で決めて、それに打ち込み、自分の目的へと邁進する。そこに人生の充実、意義があると私は思っています。