春高バレー優勝後も、油断なく練習に励む教え子たち
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21年ぶりの優勝を果たし
「よう頑張った」と伝えた ―今年1月の春高バレー優勝、おめでとうございます。まずは鎮西高校男子バレーボール部の近況を教えてください。 畑野 春高バレーに関しては、大会前から「今回はいけるかな?」という感触がありました。3年のキャプテン鍬田、1年の水町という両エースの力は、全国でもトップレベルでしたから。エースの力というのは、バレーボールでは大きいですからね。 ただ水町に比べると鍬田の調子は、それまで振るわなかったんです。最高到達点はずっと高いのに、1年生エースに助けられる試合が多いという有様でした。それだから彼にはけっこう厳しくしましたよ。大会前も2人になった時、「中央大に進学の決まっているお前だけど、このままだと大学じゃレギュラーにはなれんぞ」というようなことを言いました。高校時代トップレベルにあった選手が、大学では当たり前のように戦力外になってしまう、そんな現実があることも突きつけました。 そしたら目が覚めたのか、初戦から出来が違いましたね。それもあって準優勝が続いた春高バレーで21年ぶりの優勝を果たし、私は普段褒めるということはないんですが、その時は皆に「よう頑張った」と伝えました。 |
基礎・基本を大切にし
チームの長所を活かす ―そんな鎮西男子バレー部の特徴を教えてください。 畑野 バレーボールのセオリーがちゃんとできるようになること、つまり基礎・基本を大切にすることを重視しています。セオリー通りのプレーがやれると、その裏をかいたプレーもできたりと、その後の発展に楽につながります。震災後は鎮西の体育館が使えなくなった一方、あちこちから練習試合に誘われ、県内外の強豪と実戦で磨き合う機会に恵まれました。その経験が春高バレー優勝にも活きたとは思うのですが、それまでは練習と言うと、やはり基礎・基本を中心にしていました。 チームの特徴を言うと、これまではとにかく、エース2人を中心に組み立てていました。他の選手に求めることは、いかに2人が良いスパイクを打てるようボールをつなぐかということ。エ―スが他より抜きん出ているという「鎮西の長所」を、より活かせるチームづくりをしていたわけです。 |
ああ、それと変に目立とうとしたり、応援の時にベンチで騒いだりというのは、私は許しません。そんなものは良いプレーと何の関係もないですから。ベンチの子たちには、「お前たちはここで騒ぐためにバレーをしてるわけじゃないだろう。そんなことをしても試合に出てる仲間との差が開く一方だろう。騒ぐヒマがあったら練習しろ」、そんなことを言う時があります。またレギュラーと補欠の違いというのは、これは「試合に責任感を持って臨めるかどうか」だと思いますが、ベンチでいくら応援していても、勝利の本当の喜びは味わえない。皆がもっと上を目指し、本当の喜びを味わえる選手に育って欲しい、そういう気持ちはあります。
日体大時代、インカレで準優勝した時(前列中央が畑野監督)
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毎日シゴキばかりだったが
「逃げてどうする、どうなる」 ―学生時代の、今に活きる「学び」を教えて下さい。 畑野 なんですかねえ…。私自身がバレーを始めたのは帯山中学に入ってからですが、それは当時部活が少ない上、担任がバレー部の監督だったという理由からでした。 進学した熊本商業では3年に上がる時に監督が他校へ移ったので、キャプテンだった私が監督的役割もしなくては、と覚悟したことを覚えています。後で漠然と「先生・指導者になろう」と思うようになり、実業団を辞めて日体大へ行きましたが、そういうのもその時の体験がきっかけと言えるのかどうか…よくわかりませんね。 まあ、特に日体大での練習はきつかったですよ。インカレに出て準優勝もしましたが、毎日シゴキばかりでした。でもバレーを止めようと思ったことは一度もないです。練習から逃げ出そうとする者もいましたが、「逃げてどうする、どうなる」と止めたことがありますね。どうしてバレーにこんなに深く関わることになったのか、自分でもそれはわかりませんが、まあ負けん気とか根性とかそういうものは、学生時代のバレー経験を通して培った、と言えるのかもしれません。 |
畑野
若者と言っても、人それぞれ、自分次第ですから…。まあしかし、人に迷惑をかけない大人にはなって欲しいと思いますね。
あとは…自分の考えをしっかり持って、その考えに沿う行動をしっかり取っていけば、将来のプラスになるんじゃないかと。それから、周りの気を引くことばかりを考えて、突飛な行動を取る若者が最近多い気がしますが、そういうやり方はあまり、自分のプラスにならないんじゃないかと感じますね。もう少し謙虚になると良いんじゃないかなと、そういうことは思う時があります。